納屋橋まんじゅう 万松庵の表紙へ戻る

こだわり

お茶イメージ

歴史

納屋橋饅頭万松庵の包装紙は朱に金文字で印刷されています。

尾張徳川開府以来の運河「堀川」のたもとで明治19年に、和菓子店【伊勢屋】が創業致しました。
大正2年5月、堀川に架かる納屋橋の架け替え工事が完成し、その記念として夫婦三代そろった家が、橋の渡り初めを致しました。その「夫婦三代そろった家」が、伊勢屋であり、以来屋号を現在の納屋橋饅頭に致しました。
 その時、万松庵の初代「中島一一」が、当時の納屋橋饅頭に奉公しており、特例をもって大正8年に暖簾分けしていただき、名古屋大須に納屋橋饅頭万松庵を開店致しました。
 もともと全国各地にあった本格仕込みの酒元まんじゅう。製造管理の難しさや販売期間の短さ等で製造販売する店が減っていく中、万松庵は伝統技術を縦糸に、最新技術を横糸に、365日休まず製造販売しております。
 万松庵が創業から90余年、事故一つなく無事来られましたのも、一重にお客様のご愛顧の賜と感謝致しております。
 創業100年に向けて一層の努力と向上心で進んでまいります。今後とも変わらぬご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

納屋橋の歴史 架け替えから100年。親しまれ続けるアーチ

左:現在写真 右:納屋橋完成を祝う1913年5月5日の渡り初め式

100年の橋

名古屋の中心部を南北に貫く「堀川」。
江戸時代初期の1610年、名古屋城の築城に合わせて、運河として開削されたことに始まる川です。
その堀川と、名古屋の目抜き通りでもある広小路通りが交差する場所に架けられたのが「納屋橋」です。
もともとの納屋橋は1610年に木造の橋として架けられていますが、1913年(大正2年)5月5日、鉄製のアーチ橋として生まれ変わり、その際に行われたのが渡り初め式です。
渡り初めを一目見ようと納屋橋に押しかけた観衆はおよそ6万人。堀川には川面が見えなくなるほどの船、橋のたもとのみならず建物の中や屋根まで見物人で埋め尽くされたと、その歓喜と熱狂は今日にまで語り継がれています。

地図

記念の盃

納屋橋饅頭初代の修行先から「初代が渡り初め式を記念して配った100年前の盃がある」との一報受けて譲り受けた盃。渡り初め式の「夫婦三代揃った家」にちなんで三つの盃セットになっていると思われます。
保存状態も良く当時の粋が細部に感じられる逸品です。

職人の粋

バルコニー中央には堀川を開削した武将の福島正則の家紋。
バルコニー脇には郷土三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の家紋。そして、三英傑の家紋の下の方に納屋橋を製作した「中島鉄工所 鋳造部製作 中島彦作」のレリーフが見られます。中島彦作は納屋橋を日本一の美しい橋にしようと採算を度外視してまで製作にこだわったため、橋の完成からほどなくして、自身の会社を閉鎖に追い込んでしまったといいます。そんな職人の魂が込められた橋でもあるのです。

次の100年へ

2013年(平成25年)は、それから100年。
当時のままのアーチを架ける納屋橋は、今日も名古屋市民に親しまれる橋としてその場所に佇んでいます。
100年後の未来を見据えて、納屋橋ならびに当庵を変わらずご愛顧いただけるよう、より一層の精進を続けてまいります。

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