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私の修行時代

 当主の修行っていうのは、 店(たな)を守り、商売を繁栄させていくための総体的な感性を磨いていくことなんですよ。




子供の頃から納屋橋饅頭を継ぐつもりでした。

 うちのおやじの接し方が上手だったと思う。頭ごなしに、「継げ!」ではなく、好きなことを何してもいいと…。ただ、「跡を継ぐ気があるならこんな勉強をしてくれないか」と、そんな言い方をしていました。もともと両親は薬剤師だったんです。ですから化学のことは、ある程度知っていました。まあ応用微生物とは違うんですが、こんなことをすればいいだろうなというイメージは、頭の中に描いていたようです。ただ、跡を継ぐんなら、経営とか経済とかは大学で勉強しなくても社会に出てからいくらでも覚える。応用微生物、今で言えばバイオの世界は学校に行って勉強しないとだめだろうと、そう言われました。もともと化学が嫌いなほうじゃなかったので、そういう学校を探しました。
 当時、日本で醸造科のある大学は3つしかなかった。今から25年位前ですから…。その科にくる学生は、ほとんどが酒屋の息子、味噌屋の息子でした。醸造科に饅頭屋の息子が来たのは私が初めてでした。1号です。面白かったですよ。私の研究室には20人くらいの学生がいました。その頃に、今のいろいろなことの基礎研究をしました。化学というよりは応用微生物です。酵母の世界、イーストの世界です。もろみの中に、どんな微生物が関与しているのかをまず見つけだす。そんなことからはじめないと出発できない。それを見つけてきて、そいつがどういう名前で、どういう性格なのかを調べる。その見つける方法とか理論を大学で学びました。大学を出て名古屋に戻ってからが応用編です。でも、一人ではどうしようもない。それで愛知県の技術センターで共同研究といういうことになったんです。ギブアンドテイクですね。

 


作るということが、なんなのかを知ることが大切です。

 僕は当主にならなければならない人間でしたから、菓子というものがどういうものでなければならないのか…。菓子を作るとは、どんな心構えが必要なのか。それを、学ばなければいけませんでした。和菓子というのは、伝統に裏づけされたはかり知れない、深い文化をもったモノなんです。だから店の仕事をはじめた頃は、職人さんと一緒に朝3時くらいから起きて、職人修行をしました。職人さんがやっていることを肌で感じて、段取りやタイミング、すべてのことをカラダと頭に叩き込まないと、化学の力、機械の力なんかを取り入れることなんか不可能です。そんな修行の中から、その行程を分析し、活かしていけるよう奮闘努力を続けたんです。そんな毎日が、22歳ぐらいから30歳ぐらいまで続きました。その間に、生菓子の作り方とか、餡の取り方とかのノウハウをカラダと頭に入れていったんです。職人になるんだったら、そんな短期間じゃダメです。話になりません。職人のもっているカンとか、技にはものすごいものがありますからね。ただ僕は、僕の中に流れているお菓子づくりの遺伝子のようなものに支えられて、本当は3、4年修行するところを1年という、もうスピードでやったんですよ。

 


20数年前のある1日の私のスケジュールです。

 朝2時半起床。3時出社。4時までに仕込み。4時から5時までに完全に下準備を終えてる。店、つまり会社が動きだす。時間差で職人さん達が出社してくる。ある程度の段取りがすんだところで、私は2階の生菓子の部屋に上がって、今度は手作りお菓子の勉強をする。午前中は、それまでです。洗い物からはじまるいわゆる下働き。材料の調合をする――――そのお菓子に何がどれぐらい入っているのか、それをしっかり把握してないとできません。米粉でできているのか、餅粉でできているのか、小麦粉でできているのか…。餅粉でも「かんばいこ」なのか、「じょうりゅうこ」なのか、はたまた「いらこ」なのか。といろいろあるんです。それによってまた食感も違ってくる。もっと複雑な菓子になると米粉はこれだけ、餅粉はこれくらい、と配合が微妙に違います。その修行があったから、今では食べるだけで、すぐ材料がわかります。ですから、よそのお店にうかがっても話ができます。――――お昼からは愛知県の技術センターに行って、共同研究を夕方の5時までやる。それから帰ってきて夕飯を食べて、今度は6時から9時くらいまで、自分の研究室で研究をして寝る、そしてまた2時半に起きる、という具合でした。若いからできたんでしょうね。
 今は、ただただ遊ぶ、昼夜を忘れて遊ぶ(笑)。遊びもまた、この年になると修行になります。

 

 
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